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【映画レビュー】アダム・ドライバーの『フェラーリ』は妻ペネロペ・クルスが隠れた主人公?

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マイケル・マン監督の描くイタリアの名車『フェラーリ』の男社会

アル・パチーノとデ・ニーロの共演で話題になった『ヒート』監督マイケル・マンがアダム・ドライバーを主演・プロデュースにむかえて撮影した『フェラーリ』
しかし、この映画の肝を担っていたのはペネロペ・クルス演じる妻ローラ。演技も配役も含め、本当は彼女のための映画でも良かったのではないかと思わせる映画でしたので少し感想を書いておきます。

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『フェラーリ』あらすじ

フェラーリの経営が危ぶまれる年にイタリアで開催された著名なレース「ミッレミリア」、各社の車が威信をかけて一般道を走るレースで、当時は命を顧みない危険をはらんだモータースポーツの祭典でもありました。
業績不振中のフェラーリはそのレースで勝ち、社名に輝きを与えなければ企業としても倒産の危機が迫っています。そんな時代のフェラーリ家当主エンゾ・フェラーリの自伝的なお話です。
同社の代表であるエンゾ・フェラーリには共同経営者である妻の他に、隠し子のいる愛人がいます。企業の経営とレースの成果、家族の問題が一挙に押し寄せた、混迷期のフェラーリ家を2時間少々で描く一代伝記映画です。

原作はこちらの本だそうです(Amazonリンク)→『エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像 (集英社文庫)

映画『フェラーリ』には三つのドラマがある。

1:周囲に壁をつくり、レースと車の設計に人生を捧げた男エンゾ・フェラーリの話
2:文字通り危険なレースによって体と命を賭けるレーサーたちの話
3:妻と愛人が自動車とレース、当時の男社会に板挟みになり翻弄されていく女の話
しかし、この三つの話のどこにフォーカスしたいのか、映画全体として少しピントが弱く感じました。三つの物語が同じ量もりつけられているので、メインディッシュがどこなのか瞬間的に感じとることが難しい。それぞれ個別に取り上げられている雰囲気によって感情移入しずらい部分があります。
たとえばレーサーたちの葛藤や活躍を描くならもっとフェラーリVSフォードのようにすべきだったかもしれません。夫婦と経営者の人間ドラマ、あるいは車社会の歴史ドラマとして描くならもう少し走行シーンを減らして、キャラクターの心情を深く描いた方が良かったように思います。どっちつかずの、上部を擦ったように見えてしまうドラマ構成。もうすこし人間の心理や、それぞれの人間としての強さや弱さといった個性の由来や紹介が欲しかったところ。
と、思っていたのですが、途中で、いや観終わってからあることに気がつきました。

それは・・

「これは妻の物語なのだ」と。

画面の多くを占めるのはもちろん主人公エンゾ・フェラーリなのですが、印象に強く残るのは妻の方なのです。なぜかといえば、彼女の恐ろしい雰囲気、異常とも思えるくらいのキレ具合などが、ちょっと常軌を逸するのです。しかも、それでいて一番大きく会社をまとめ、我慢し、包み込んでいるのは彼女なんです。その役をペネロペ・クルスが見事に演じています
夫のダメなところも包み、包容し、もちろんその為に自身は病みながらも、救われなさを抱えながらも、フェラーリという会社とその哲学を、存続させたのは彼女だった。そいうことが暗に描かれた映画であると思いました。

ただ、そうなのであればペネロペクルス演じる妻ローラを主人公にした方が説得力のあるドラマになったと思わずにはいられません。なぜ助演にしたのか。さすがにペネロペはスペイン系の血を沸き立たせるような狂気の見せ方にも迫真に迫るものがありましたし、上手い配役だっただけにもったいない。アダム・ドライバーを全面に出さずに、女性ローラを主役で写し続けたとしたら、興行的にはもっと難しかったかもしれません。しかし、時代的に見ても、今とりあげるにはその方が良かったと思うのは私だけでしょうか。悪く言えば少し古臭い映画に感じたのはそういった点もあったかも。

 

映画『フェラーリ』いまいちな点

1:アダム・ドライバーにどうしてもイタリア人気質を感じることができない。
これが結構残念なポイントで、まぁ見る前からなんとなく「アダム・ドライバーがエンゾ?」と思っていたのですが、その懸念どおりの雰囲気でした。体型や歩き方を似せたのは流石に役者魂を感じますが、やはりちょっとイタリア人としてのというかラテン人としての血の部分で、雰囲気と貫禄が全く出せていなかったように思いました。アダム・ドライバーって、悪っぽさがちょっと入ってくる役は苦手なんじゃないかなとも思いました。スター・ウォーズのカイ・ロレン役も全然ダメ、というか雰囲気にあっていなかったように。

2:事故の表現と性の演出がちょっとどうかと思う

事故シーンがあるのですが、空を舞う人間とかそのあとの痛ましさとかが、そういう風な見せ方する必要あるかな?と思ってしまう場面があります。もちろん好みの問題ですが、露骨だから良いとか上手いということは表現ではなくて、見せなくてもそれとおなじくらい観客に感じさせる上質な演出というものがあるように思います。

上で書いたことにもつながりますが、性的な表現の部分にも「必要あるかな〜?」というような場面がありました。なんというか、おとしどころが良くわからないんです。エンゾという男の性について描きたいのか、旺盛な性の引き換えに、他者を寄せ付けない情熱で切り盛りする経営者としての男の姿を描きたいのか。性に旺盛ならもっとグロテスクにでもその部分を見せるべきだろうと思います。
妻ローラの「まだあの女と寝てるの!」みたいな発言からしか彼エンゾのラテン的ともいえる旺盛な性の振る舞いは感じないのです。かといって妻や愛人とのセックスシーンはみせる。
妻に「まだあの女と!」のようなセリフを一方的に叫ばせることで、「彼はまったく悪いことしているつもりもないし、彼自身は気にもしていない」という演出なのかもしれませんが、どうも中途半端な描き方だとは思いました。

3:音がちょっときになる

録音部の仕事とか整音部の仕事なのかわかりませんが、音声のバランスがちょっと気になる場面が数箇所ありました。意図したわけではなさそうなシーンで、同一人物の声が急にワンシーンだけ耳元で話されているような音量に変わったり。
室内の小部屋で食事しているシーンなのに、ホールで響いているかのようなリバーブのかかった大きめな声の残響がある。もしかしたら映画をオペラとして表現したという制作意図、整音意図があるのかもしれないけれども、それにしては中途半端だし、ちょっとした違和感はあります。

 

総合的感想

生煮え感が残りました。三つのストーリーのどこにもビシッとした焦点があっていないのと、主人公にラテンを感じないこと。その二つが大きな理由で、どうも見ている側としてどっちつかずな心境になってしまう。カーチェイスがみたいのか、レース熱にうかされた人間たちの社会ドラマがみたいのか、はたまた男女の軋轢や悲しみがみたいのか。
古い車が沢山出るので、イタリアの街並みと疾走する旧車好きにはたまらない部分はあるかもしれません。(ただネットの批評だと、車好きの人からしても、ちょっと物足りない部分があるという話はみかけました)
どうなんでしょう、フォードvsフェラーリが映画としてでたので、こちらもやらなければという派閥的な闘争もあったのでしょうか?

個人的には・・

妻を堂々と主人公に描けばいいのになぁ、と思ってしまいました。ペネロペの演技も良かったし、こんなすごい女性がいたのかという驚きと、彼女の悲しみにもっと光を当てて欲しかった。男社会のあの時代の激動を生き、それでも現代までフェラーリの威信と哲学を残した”主人公”としての妻ローラの物語
瞬間ではあったにせよ、そこを垣間見せたという点においてこの映画『フェラーリ』は良い仕事をした、とは思います。

 

では最後にもう一本観るならこちら↓を紹介して終わります。

マイケル・マン監督の過去作品で、ロバート・デニーロとアル・パチーノが共演したことで著名な『ヒート』ですが、トップガンのアイスマン役をこなし、『マーベリック』にも出演を果たしたバル・キルマーが好演したアクション映画でもあります。マン監督の手腕光る大作映画『ヒート (字幕版)』いかがでしょうか。市街地の銃撃戦が見せ場です。

 

 

では、また次の映画で。

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