【映画レビュー】アメリカのスケートボード少年たちの日常ドキュメント『行き止まりの世界に生まれて』
米国発ドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』の平凡
早朝のオフィス街を気持ちよさそうにスケートボードで走っていく少年たち。背景に流れる叙情的なピアノ曲のオープニング。霧がかかったようなフィルターワークや薄い色味の画面が現代っぽさを見せる。
この映画『行き止まりの世界に生まれて』は
アメリカのどこにでもいそうな、悪ガキスケーターのドキュメント。
底抜けに楽しみを追いかけることを人生の第一目的にしているような若いスケーター仲間たちをカメラが追いかける。ビール、マリ◯ナ、プール、ホームパーティー、スケボー。
そして、それぞれを取り巻く暴力や貧困、妊娠、汚れた部屋、家族といったある種ステレオタイプなアメリカのごくありふれた社会問題。
育ちや低学歴、家庭環境がその先に見せる希望の薄さと倦怠感。それらを吹き飛ばし、何も考えなくて良く思えるスケートボードでの滑走。地面を擦る音。
スケータードキュメントとして
映像は確かに気持ちよさそうなシーンもある。土地柄なのか、カラッとしていて清々しい空の下で、走っていく若者の姿。スケートボードパークのハイキーで白っぽい抜けた感じのある映像。
これがあれば(環境から)「抜け出せる」というスケボーショップのオーナーの言葉。
単にスケートだけではなく彼らの生活環境まで踏み行ったことで撮影可能になった映像
汚れた部屋で子育てする若くて貧しいカップル。繰り返される喧嘩。
警官のアフリカ系アメリカ人への暴力。または親や義父から受ける家庭内暴力。仲間のそれぞれが悩みを抱えながらスケートをしている姿。
彼らを照らす能天気に明るい空。そして、いつもそこにスケートボードがあったところからの、それぞれの出発。
友人や家族だからこそ撮影できた痴話喧嘩や家庭問題の映像が物語ではない彼らなりの真実で、この映画を支えている。
さんざん描かれてきたアメリカ現代社会の私的な問題の数々をなぞったドキュメンタリーで、目新しさはない。撮影者も若いスケートボーダーで、同じ世代がカメラを回しているという統一感のようなものは感じる。
総合的に・・
社会問題を扱った作品だというには薄っぺらく、深みがあるとは思えない。どの国でも同じような問題を抱えてスケートボードに乗っている若者がいるだろう。彼らには共感が得られるかもしれないが、果たして、映画ファン、ドキュメンタリー映画好きな人間たち、つまりごく一般の視聴者の心に何か深く刺さるものを残せるかというと、少し疑問が残る。
甘いないように感じてしまう。特に『ラッカは静かに虐殺されている』のような激しいドキュメンタリー作品を体験した後では全く心に響くような事柄はない。あるとすれば、それはシカゴの乾いた街中で走行するスケートボードの気持ちよさそうな滑降。彼ら自身だけは絶対に気持ち良いだろうなと思わせるその滑降の爽快さだけはこの若いドキュメンタリー映画から伝わった。
未視聴の方はこちらからどうぞ→『行き止まりの世界に生まれて』
さらに観るならのオススメドキュメンタリーを二本
1:ラッカは静かに虐殺されている
こちらは前回のレビューで紹介した作品で、非常に厳しい現実を突きつけられる作品です。ラッカというISISに乗っ取られた故郷をなんとかして取り戻したいという住民が命をかけて起こした行動の行方をカメラが追いかけます。残虐な場面もそのまま、モザイクなしで伝えられショックを受けます。このドキュメンタリーの方がむしろ「行き止まりの世界に生まれた」と言いたいでしょう。ただし、ラッカの人々はそうは言わない。行き止まりを打破するために行動し、この映画を生んだ。非常に厳しい内容だが、観るべき価値がある。
2:ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(字幕版)
この監督の立派なところは、とにかく私情を挟まず、徹底的に時間をかけて何が起こり、どんな過程を経て、人々が対話や対立をしながらも日々を進めてきたかを描くことです。
下手に片方に偏った報道ではなく、じっと据え置いた精神でもって日々を記録する。こんな行動とこんな行動とこんな行動がありましたよ、と。そして、観ているものは個々で映像から何かを汲み取っていく。まさにドキュメンタリー映画です。今作はNYにある図書館で起こる日々をしつこく長時間追いかけた映像です。日本の図書館とは違い、貧しい人へ面接用のスーツを貸し出す事業など、アメリカらしい多様な活動を垣間見ることができます。
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