【映画感想】赤と青は何を象徴するのか?『落下の解剖学』簡単にはスッキリさせない異質サスペンス
法廷会話劇 すっきりしないサスペンス映画『落下の解剖学』の謎に迫ります。
フランス発の会話劇を中心とした心理描写サスペンスを今日は解剖していきます。事件の謎の他に、色に物語らせる映画でもあり、ある種の見応えがたっぷりとつまった洋画です。ではさっそくみていきましょう。*後半はネタバレが多くなりますのでその前に注意を表示します。
『落下の解剖学』のキャストとあらすじ
小説家の母サンドラ(ザンドラ・ヒュラー 映画『関心領域』にも出演の女優)
売れない作家志望の教師である父サミュエル(サミュエル・タイス)
盲目(ほぼ見えない)の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)
ハンサム弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)
ある日、父親が家の前で死んでいるのを息子が発見。死因は自殺による落下か?それとも母、または第三者による暴行のすえの暴行致死か?舞台はフランスの法廷へ移り、素敵なハンサム弁護士(スワン・アルロー)や検事、精神科医などそれぞれの立場による問答が繰り返されます。はたして母は殺人犯なのか?目の見えない少年と母親の行く末は?
という映画です。監督はジュスティーヌ・トリエ監督。
『落下の解剖学』について、まずいっておきたいこと
この映画はサスペンスで、法廷物ですが、その事件や裁判の行方が時間とともに少しずつ解明され、結果として視聴者が「すっきり」する映画、ではありません!
まったくすっきりするような作りにはなっていません。ですので、サスペンスで最後に伏線回収や万人の納得する落とし所が用意されていることを期待して見ない方がよいです。どちらかというと、「そんな感じでに終わるんだ、考えちゃう・・」という印象。
『落下の解剖学』で一番気になること
ずばりそれは「赤と青」です。
この映画、とにかく赤と青だらけな画面構成をしています。キーカラーというものでしょうか。それにしてもあまりにも赤と青を使いまくるので、これは何かのサインではないかと考えずにはいられません。
映画ポスターのメインビジュアルも白い雪に倒れる夫の赤い血、服は上下青系ですし。他にも例えば、主要人物の着ている服が濃い青のセーターであったり、裁判で証言する息子の服が赤だったり。履いているのが赤い靴というのはもちろんあります。さらに、もっと細かい部分にもそれが現れています。取材するテレビクルーが使っているマイクの風防スポンジが青。弁護士たちが打ち上げする中華料理店の壁とネオンの組み合わせも青と赤。ドライブ中にすれ違う見知らぬ車も赤、犬につけているリードも赤。という感じで、ちょっと思い出すだけでも小道具や背景にも赤と青が沢山浮かぶくらいに多用されています。
確かに、雪国の白い風景にはっきりした赤と濃い青は目立ち、画面作りとして良い色味なのかもしれません。が、しかし、ここまで強調されると制作側の意図がかなりあると思います。そこで気になることが・・
『落下の解剖学』の赤と青、これは何を表している?
もしかして「静脈と動脈?」あるいは「赤信号と青信号?」
主人公を演じる女性(母役)のザンドラ・ヒュラーはくぐもった色の服を着ています。色々な色が混ざったストールを巻いて。そして、彼女は自身の小説のインタビューの中で「曖昧に書くことで現実を突破する」という発言をしたことが法廷でとりあげられます。
つまり、もしかしたら赤と青ははっきりとした信号、「進む」と「止まれ」を表しているのだとしたらこの映画は、「人生においてそのどちらの可能性もあること」一つのサインで人生はどちらかに「進む」し、別のサインなら動いていたはずの人生が「止まる」可能性もある。たったひとつの信号であらぬ方向へ転がる人生の喜びや悲嘆、困難を表しているのか?
そんなことを考えてしまいました。
そして動脈と静脈のように、すべての人に、どちらに転ぶともわからない人生の出来事が脈打ち、流れている。それはそれぞれがそれぞれの立場で主張する正義と不正義(法廷が争う一点の理由)でもあり、人生とは他者が持ち合う多面的な真実の不確かな組み合わせの連続であるかもしれない、という点をみせてくれます。
──
アマゾンプライムで視聴→『落下の解剖学(字幕/吹替)』
──
伏線回収やヒントを少しずつ提示して最後に驚きの解決や、どんでん返し、あるいは裏切りや秘密を暴露して皆んなが「スッキリ」と見終わる映画ではないことがよくわかる作りです。とはいえ、よくみていくとなんとなくのサインだとか「もしかしたらこうかもな」と観客が考えられるような映画としての、いってしまえばずる賢い映画を楽しませる策略は随所にあるようには思います。グレーにすることで視聴者に掘らせる、考えさせる。ただ作品の中にはっきりとした決定打は仕込まない。
この辺りが、この映画のキモであり、また弱点でもあるかと思います。好き嫌いがはっきりと出るかもしれません。
個人的にはこの方法でいくには若干、裁判が鈍長かなと思いました。公判中の会話劇がそこまで引き込まれないのに尺が長い。展開ではらはらさせる作りではないサスペンスな分、この辺をもう少し上手く作って欲しかったかなとは思いました。
主演女優の見事な演技(ザンドラ・ヒュラー)
ちょっと鈍長なこの映画の重い部分をカバーするのが女優の力量でしょうか。主演のザンドラ・ヒュラーがめちゃくちゃ上手いです。
犯人なのかそうじゃないのか、どちらともとれるような印象を残す絶妙な演技。見応えあります。怖い気もすれば、怪しい気もするし、一方で子供を大切にする母の深い愛情を持っている、善人のような。一人の人間から善悪の両方がでてきそうな雰囲気、見事です。まさに動脈静脈が一人の中に脈打つ姿。
*ここから先ネタバレ多めになります!未視聴の方はご注意ください。
『落下の解剖学』主人公の人間性を深掘り
主演の小説家サンドラ。彼女の態度や発言、初見では気が付かなかった部分もありますが、少し見返すと彼女の微妙な性格が結構描かれていることが分かります。
彼女は作中でも言われるようにバイセクシャルなんです。夫との性交で子供をもうけたようですが、不仲になり夫婦間の性交渉がなくなると、耐えきれずに別の人と体の浮気をしたわけです。(と、裁判で語られます)彼女の言い分では夫が息子の事故の責任を感じ、夫婦間がうまくいかないので身体だけの関係として女性と寝ただけだと答弁。自分は悪くないという自信があります。
最初、観客はその性癖を知らずに映画をみています。ですが、それを踏まえて、もう一度オープニングを見てみると、確かにインタビューに来ている若い女性に対しての態度がどうも少しおかしい。ちょっとロマンスを期待しているようにも思えます。実際、「近々〇〇町へいくから」といって、家ではなく別の場所で会えるように話を持っていきさえします。
もう一つの点として弁護士の立場があります。
『落下の解剖学』弁護士は元恋人だった
そうなんです。彼女を弁護するかなりハンサムな男性は彼女の元恋人。会うのは久しぶりらしいですが、、
そして、普通の弁護士と顧客の関係だけだったらあり得ないようなシーンが二人にはあります。夜、家の前でビールを酌み交わしながら晩酌したり、「あのとき私のことどう思っていたの」などと思わせぶりな発言もあります。中華料理店では危うくキスするのではないかというシーンまでございます。「ちょっとこの女性、飢えてる?」な演出。この辺りが彼女の怪しさを盛り立てているともとれますが・・
少年の目がほとんど見えないことについて
この映画の設定として、息子である小学生の少年は目がほとんど見えません。盲目の彼は音と手触り、愛犬をたよりに生活しています。そんな中で事件が起き、自身も法廷で傍聴したり出廷するなどを経て、家族のことをいろんな立場から聞かされます。今まで見えなかった母や父の醜い姿や知らなかった出来事が、傍聴により明るみになるのです。両親の輪郭が前よりも見える。でも依然としてはっきりとはわからない。少年に背負わせるにはあまりに重い両親のあれこれを彼は聞いていきます。
しかし、映画の脚本として「盲目であること」が、どれほどこの映画に重要なのかイマイチはっきりしません。ブラインド(盲目)であるがゆえに、気が付く繊細な点が映画の大切な場面として描かれるわけでもないし、見えないからこその出来事に重要性を感じない脚本というか。盲目であることがキャラクター設定以外にあまり深く関係ないようなつくり。ちょっと視聴前の予想とは印象がことなりました。
という感じで、いろいろな出来事がぼんやりとしたまま話がすすみ、「君たちは他殺だと思う?それとも自殺?」「彼女の立場、夫の立場、子供の心境をどう思う?」という疑問を投げかけて終幕する映画です。見終わってから推理や妄想が始まる、ある種もう一度映画を見たくなる、上手い作りのサスペンスです。二回みるとだいぶ印象が変わる映画でもあります。
2024/10/01現在、アマプラで視聴できますので気になる方は是非→『落下の解剖学(字幕/吹替)』
コメントを残す